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calendar_today 2026年8月30日

2026/08/30 ヨハネ9章1-38節「傲慢による盲目VS目が開かれる恵み」

person 桜井知主夫
view_list 日曜礼拝

傲慢による盲目 vs 恵みによる開眼

歓迎
  • 特に歓迎されていないんじゃないかと思った方を、心から歓迎します。
  • 今日は、ヨハネ9章から「生まれつき盲目の男性」の話をします。
エピソード①:居眠りと聖書
ある教会で、礼拝の説教中に居眠りをしている人がいました。その人は眠りこけて、手に持っていた聖書を床に落としてしまいます。バタン!と大きな音が礼拝堂に響きました。礼拝が終わった後、教会の役員がその人にそっと告げました。

「聖書を持ったまま居眠りをしてはいけません。周りの人が起きてしまうから。」
エピソード②:見ないで信じる者は幸い
地獄の存在を信じない夫について、嫁いだ娘が泣きながら母親に言いました。

「ママ、彼ったら、地獄があることを信じていないのよ。」
母は薄笑いを浮かべて言いました。

「じゃあ、地獄を見せてあげましょう。」
私自身の体験:左目の負傷
  • 2年前、台風被害に遭ったアッシュビルへ支援活動に行き、左目を負傷した。
  • 経緯:サマリタンパースの活動中に負傷。医療費はサマリタンパースが出してくれた。
  • 町の目医者で診てもらうと、眼球に傷がついていることが判明。
  • 片目の状態で3時間ほど運転し、友人の家までたどり着いた。
  • 両目が見えなくなることは、想像がつかない ―― 光が見えない、方角がわからない。
  • 現在、世界中で中度〜重度の視覚障害者は2億9,500万人。
今日皆さんと見ていくのは、生まれつき目が見えない男性の話です。現在、世界中で4,200万人が盲目とされています。
生まれつき目が見えない人
この物語の4つの構成
  • キリストとの出会い
  • 素晴らしい出来事と騒動
  • 試練とテスト
  • 告白と礼拝
見える人と見えない人
少し変わった質問から始めさせてください。

「見える」ということと「わかっている」ということは、同じでしょうか?
  • 目がはっきり見えているのに、人生で一番大切なことが何も見えていない人がいます。
  • 逆に、目が見えなくても、誰よりも真実がはっきり見えている人もいます。
ヨハネ9章には、この両方のタイプの人間が登場します。
登場人物特徴
生まれつき盲目の人
最後には誰よりもはっきりものが見えるようになった
宗教指導者(パリサイ人)
目は完璧に見えているのに、真実を最後まで拒み続けた
この物語は、私たちに問いかけます ―― あなたはどちらのタイプですか?
物語の流れ(4つの場面)
「出会い」 → 「素晴らしい出来事に続く騒動」 → 「テスト尋問」 → 「告白と礼拝」
第一場面:出会い
イエスと弟子たちが道を歩いていると、一人の物乞いの盲人の姿が目に入ります。彼は生まれつき目が見えない男でした ―― 生まれてから一度も太陽の光も、母親の顔も、空の色も見たことがありません。
弟子たちの反応
弟子たちは同情するでもなく、助けようとするでもなく、いきなり神学的な議論を始めます。

「先生、この人が生まれつき盲目なのは、だれの罪ですか。本人ですか、両親ですか。」
罪とは?
  • 的を外すこと。では的の真ん中とは何か。
  • 神を愛し、神を求めること
  • 神に従うこと
  • 神の忍耐や親切を、自分を通して表わすこと
  • 罪とは、神が決められたルールに逆らうこと。
  • 罪の性質
  • 戒め・禁止令が罪を刺激し、その罪(外れること)が助長され、悪い結果を生む。
  • 罪は自分を誤魔化して、自分の問題に正面から向き合おうとしない。
当時の通念
  • 不幸は誰かの罪の結果だ、という考え方が当時の通念でした。弟子たちはこの盲目が誰のせいなのかを追求していたのです。
  • 正直に言うと、これは私たちがよくやることでもあります。
  • 誰かが苦しんでいるのを見ると、まず「その人は何をしたのだろう」と考える。
  • 自分とその人の痛みの間に距離を置きたいから。
  • 「あの人は自業自得だ」と思えば、自分は安全な気がする。
イエスの答え
イエスの答えは、そういう発想全体をひっくり返します。

「本人でも両親でもない。神のわざがこの人に現れるためです。」
  • 「わたしは世の光だ」と言われた ―― 盲人の目を開く光、乞食の男性を助ける光。
  • イエスは地面の土につばきをして泥を作り、それを彼の目に塗りました。
  • 生まれてから一度も何も見たことのない人の目に、誰かがいきなり泥を塗ってくる。しかも「シロアムの池に行って洗って来なさい」と言われる。
  • 普通なら「は? 何を言っているんだ」となりそうな場面です。
  • でもこの人は、行って、洗いました。そして ―― 見えるようになったのです。
たとえ:警察官 vs 救急隊員
交通事故の現場に駆けつける人たち――
役割たとえ働き
警察官
弟子たち
誰のせいで事故が起きたのかを調べる(社会の秩序を保つために神が立てた存在。感謝すべき役割)
救急隊員
イエス
被害者と加害者の差別なく、怪我の治療に当たる
この人に近づいたのはイエス
大事なポイント
  • この人は、イエスに何かを求めたわけではありません。
  • 彼から近づいたのではなく、イエスの方から彼に近づいたのです。
  • 恵みとは、そういうものです ―― 受けるのに相応しくない、価しない者によくしてくださること。

今日ここにいるあなたも、もしかすると自分から神を探し求めてここに来たわけではないかもしれません。ということは、キリストの方が、今、あなたに近づいているのかもしれないのです。
第二場面:素晴らしい出来事の後の騒動(9節)
この人が見えるようになって帰ってくると、近所の人々は騒然となります。

「これはあの物乞いじゃないか?」「いや、似ているだけだろう」「いや、本人だ」
本人は言います。「私がその人です。」
面白いと思いませんか。
  • 人生が本当に変えられると、周りの人はまず戸惑う。「あの人、本当に変わったの?」「何かおかしくない?」と。
  • もしあなたが今日、本気でイエス・キリストに人生を明け渡すなら、周りの反応は必ずしも祝福ムード一色ではないかもしれません。戸惑う人、疑う人、離れていく人もいるでしょう。でもそれは、本物の変化が起きた証拠でもあるのです。
  • 聖霊が人の内側で働かれるとき、外側の人間関係にも波紋が生じます。変化には摩擦が伴うということを、承知の上で。決断を持続させる上で、そのことを知ることは重要です。
第三場面:騒動の核心と試練(9〜34節)
人々はこの人をパリサイ人のところに連れて行きます。なぜなら、イエスが彼を癒したのが安息日だったからです。安息日には働いてはならないという規則がある ―― しかしイエスは、安息日に家畜が井戸に落ちたら救い出すだろう、偽善者たち、と言われました。
  • パリサイ人とは、613ある律法を守る「アスリート」のような人たち(約6千人)。
  • 「安息日に働くこの男は、神からの者ではない」と主張する者たち
  • 「罪人ならば、どうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言う者たち
  • 周囲の人たちは分裂します。
テスト尋問
人々は再びこの元盲人を呼び出し、尋問します。

「お前は、彼をどう思うか。お前の目を開けたのだから。」
彼は答えます。「あの方は預言者です。」(その前は「イエスという方」と呼んでいた)
注目してほしいのは、この人の理解が少しずつ深まっていくということです。
  • 最初は「イエスという人」としか言えなかった
  • 次は「預言者」と言う
  • そして物語の最後では「主」と告白するに至る

信仰の旅というのは、多くの場合、一瞬にしてすべてが分かるものではありません。少しずつ、光が増していくものです。今日、あなたがすべてを理解できていなくても大丈夫です。大事なのは、今与えられる光に対して素朴に応答することです。
両親への圧力
パリサイ人たちは彼を追い詰め続け、両親まで呼び出して脅します。両親は怖くなって「本人に聞いてください、もう大人ですから」と逃げます。
元盲人の反論(30〜33節)
ついに、この元盲人は痺れを切らして、こう言い放ちます。

不思議です。あの方がどこから来られたか、あなたがたはご存じない。それなのに、あの方は私の目を開けてくださった……神は罪人の言うことはお聞きにならないが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは聞いてくださる。生まれつき盲目な人の目を開けた者があったということは、天地開闢以来聞いたこともない。もしこの方が神からの者でなかったら、何もできなかったはずです。
事実は論理に勝る
痛快じゃないですか。昨日まで物乞いをしていた、教育も受けていない、社会の底辺にいた人物が、当代随一の宗教エリートたちを、論理で完全に打ち負かしているのです。
なぜ彼にこんなことができたのか。理由は簡単です ―― 彼には、否定しようのない経験があったからです。

「私は盲目であったが、今は見える」―― 議論では負けても、経験には誰も反論できません。
頑なな心
一方のパリサイ人たちは、目はしっかり見えているのに、真実の前で完全に盲目でした。彼らは自分たちの宗教的な地位、体面、既得権益を守ることに必死で、目の前で起きている神のみわざを認めることができませんでした。

タバコに「発がん性がある」という一文を入れるのに、どれだけの戦いがあったか。喫煙者の肺癌発症率は、男性で4.5倍、女性で4.2倍。タバコ業界は金儲けのために、健康を害するイメージを排除したかった。
彼らは彼を会堂から追放します。
これが一番怖いタイプの盲目です ―― 「自分は見えている」と思い込んでいる盲目。
  • 宗教的であることと、イエスを本当に知っていることは、まったく別ものです。
  • 教会に行ったことがある、聖書について知識がある、家族がクリスチャンだった ―― それと、イエス・キリストと個人的な関係を持っているかどうかは、別問題
コラム:「目から鱗」の元祖は聖書
新約聖書の手紙の半分以上を書いたパウロという人に、実際起こった話です。
  • 彼はパリサイ派という宗教家(アスリートのような厳格な生活)で、自分たちこそ一番神を知っていて、イスラエルを代表しているという自負がありました。
  • 彼は旧約聖書をよく知っていましたが、キリストと教会を迫害していました。
  • 能力:知的にも優れ、ギリシヤ語・ヘブル語もネイティブ、実行力があった
  • 権力:国会議員であり、ローマ市民権があり、宗教家パリサイ人
  • 血筋:生粋のユダヤ人で、ベニヤミン族の出身
  • しかし、神に逆らい、教会(クリスチャン)を迫害し、キリストを迫害していました。
  • 神に心の目が開かれなければ、自分が信じていたと思っていた神をも、実は知らなかったのです。
  • その彼に天から光が降ってきて、目が見えなくなります。アナニヤというクリスチャンが彼のために祈ると、目から鱗のようなものが落ちました。
これが「目から鱗」という言葉の始まりです。
宗教のプロが、自分勝手な宗教規則解釈によって、神ご自身を否定するという矛盾に生きていました。しかし、この危険性は、私とあなたにも潜んでいます。
  • 自分勝手な偏見や解釈によって、素朴に事実をみようとしない傾向性
  • 事実よりも、自分のプライドを優先させる(例:どこの国も戦争がうまくいっていないのに、その事実を認めない)
第四場面:告白と礼拝(35〜41節)
イエスは、この人が村八分になり追い出されたことを聞かれます。そして、ご自分から彼を探しに行かれます。
これも見逃せません ―― イエスは、彼が追放され、孤立し、誰からも見捨てられたその瞬間に、探しに来てくださったのです。
イエスは尋ねます。「あなたは人の子を信じますか。」(100%人間、100%神、人間にわかるように人間のレベルで生きられた方)
彼は言います。「主よ、その方はどなたですか。信じたいのです。」
イエスは言われます。「あなたはすでにその人を見ている。今あなたと話しているのが、その人です。」
すると彼は言います。「主よ、信じます。」そしてイエスを礼拝しました。
まとめ
これが、この物語の頂点です。
  • 肉体の目が開かれた奇跡から始まったこの物語は、魂の目が開かれる瞬間で終わります。
  • 彼は最初、イエスを「あの人」と呼びました。
  • 次に「預言者」と呼びました。
  • 最後には「」と呼んでひざまずきました。
十字架と復活
これこそ、十字架と復活が私たちにもたらすものです。
  • イエスは、私たちの罪のために十字架で死なれました。
  • イエスは、私たちの代わりに見捨てられた。
  • イエスは、私たちが祝福されるために呪われた。
  • イエスは、私たち正しくない者を正しいと認めるために罪となられた。
  • 私たちが受けるべき裁きを、身代わりに受けてくださいました。
  • そして三日目によみがえり、死に対する完全な勝利を示されました ―― 新しく生きる、まったく新しい人生の始まりを与えられたのです。
この方こそ、あなたの目を ―― 肉体の目ではなく、魂の目を ―― 開くことができる唯一の方です。
最後にイエスはこう言われます。

わたしがこの世に来たのは、さばきのためです。見えない者が見えるようになり、見える者が盲目になるためです。
パリサイ人たちの何人かがそれを聞いて言います。「私たちも盲目なのか。」イエスは言われます。

もしあなたがたが盲目であったなら、罪はなかったでしょう。しかし今、『見える』と言うのですから、あなたがたの罪は残ります。
つまり、一番危険なのは、自分の盲目さを認めない人なのです。
  • わかったつもりになっているけど、事実を認めない頑固さがある。
  • アルコール依存、薬物依存、ポルノ依存、セックス依存、ゲーム依存などなど。
  • 妬んで、恨んで、憎んで、怒って ―― そのような時間帯がどれだけあるかという事実。それが自分の人生を生きるのをどれほど邪魔しているかという事実を認めない。
  • 素直に事実を認めないと、回復は始まりません。
  • あなたが、自分の的外れた不完全な生き方を認めないと、罪の赦しはありません。
  • 悪くないのに赦される必要はない。自分は正しいと言い張るなら、罪は残ります。
招き
今日、あなたはどちらでしょうか。
  • 自分の盲目さを認め、イエスに向かって「主よ、信じます」と告白しようとしている人
  • それとも、目は見えているつもりで「見えている」と言い張る人 ―― 実は事実や真実、一番大切なことに対して心を閉ざしているパリサイ人
イエスは今、ここに、あなたを探しに来ておられます。あの元盲人が追い出され、孤立していたその場所に、イエスが来られたように。今日、あなたがどんな状態でここに座っていても関係ありません。
今、心の中でこう祈ってみませんか。

イエス様、私は霊的に盲目でした。 あなたが十字架で私の罪のために死に、 三日目によみがえられたことを信じます。 私の目を開いてください。今日、あなたに人生をお委ねします。 目から鱗を落としてください!
もしこの祈りをしたいと思うなら、今この場で心の中で、あるいは声に出して祈ってください。
あなたは今日、見える者になることができます。
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