昨日まで、沖縄でアメリカ人の教会の男性リトリートに招かれて参加する機会が与えられました。そこでは全員マスクはしていませんでした。アメリカ人は、マスクをするのは好きではないと思います。(文化の違いですね)

一方で、私たち日本人の教会では、礼拝に参加したい人は、全員マスクで鼻と口を覆わなければならないルールとさせてもらいました。

私は小学校のとき、大学時代、ミニストリー訓練時代の合計11年間とアメリカに住んでいたので、どちらの文化にもぴったりと適合したり、しなかったりという感覚を持った者です。(どっちなんじゃい! というツッコミが聞こえそ 笑)
性格的にも「別にマスクしなくても」と思ってしまうような者ですが、長年(27年間)牧仕をさせていただいて、主イエスの聖徒に仕えて学んだことは、どんな人でも安心して来られる集会にするのは知恵だということです。(もちろん神のことばを曲げたり緩めたりして、人々が来やすくしてあげようという意味では決してないですよ!)

ですから、自分の性格を基準とするのではなく、どんな人でも安心して来られるように、全員マスクをすることにしました。医療の専門家によれば、コロナウィルスに感染していても、自覚症状がない場合があるということでした。またウィルスに感染した人がマスクをするのが、感染を防ぐ上でいちばん効果的だとも言っていました。
ということは、全員マスクをすれば、狭い教会堂での感染を防ぐのに最適な方法だと思いました。
もちろん、この時期に礼拝参加を自粛する兄弟姉妹もいます。一方で、礼拝や午後の集会に参加を希望する人たちは、全員必ずマスクをするようにと、それぞれの自発性に訴えかけることにしました。
ランチをする人は、マスクを外すときは、一人で壁を向いて食事をして、食後にマスクをしてお互いにフェローシップをしました。
手洗いも徹底しました。何度も、部屋の出入りのたびに、手洗い、アルコール消毒をしてもらいました。また換気もしました。
その後の午後の集会も同様に、参加者全員が自発的にマスク着用をしていました。
さらに、午後の集会の後でも、複数人のカウンセリングも、マスク着用して行ないました。

911、リーマンショック、大地震、津波、放射能汚染、豪雨、台風、北のミサイル、そして、コロナウィルスと、心配のネタは尽きません。主イエスは、疫病はあると言われました。将来は、天変地異が起きて、気象現象も大きく変わり、人々が気絶すると言われました。まだまだ、序の口です。
これからも、私たちの心が揺り動かされるようなことが起こるでしょう。しかし、決して揺り動かされることのない神の国に希望を持ちましょう。「天地は滅びても、わたしのことばは決して滅びない」と言われたキリストに目を留めましょう。

思い出すのは、9年前の出来事です。2011年3月13~16日、福島原発が爆発し放射能が広範囲に広がったので、私たちは17日に新潟〜山形経由で仙台に向いました。仙台到着後、3月20日の日曜日に仙台の教会で短く分かち合う機会が与えられました。私の分かち合いが終わると、その教会のある兄弟が近づいて来て、次のように言ってくれました。その言葉が、今、私を励ましてくれます。
「多くの人たちが、今、放射能汚染を恐れて、仙台から出て行く中、逆に仙台に救援物資を持って来てくださり励まされました。本当にありがとうございました。」

昨年の9月から10月にかけて、台風15号から19号が東日本を襲いました。しかし、それを思い煩うのではなく、逆に7回もいくつかの被災地へ救援活動に行く機会が与えられました。
今回のコロナウィルスの社会的不安の中で、神から私たちに、どのような良い行ないが与えられるか分かりませんが、それでも良い行ないが与えられることは、父なる神の約束ですので、落ち着いた生活に努めて、父なる神に期待して祈りつつ主を待ち望みます。

今日の詩篇朗読箇所
主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇しいことに 私は足を踏み入れません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。(詩篇 131:1-3)