みなさんに、イエス・キリストを紹介できることを嬉しく思います。なぜなら、イエス・キリストとの出会いは、あなたの人生に建設的で希望に満ちたインパクトを与えると確信しているからです。
《必要なすべてはキリストの愛 》by JC有志
昔から、旧約聖書を読んでいる人たちは、そこで預言されている【油注がれた方】を待ち望んでいました。その方とは誰なのか?これが聖書の読者が捜し求めていた答えです。そして新約聖書は、イエスこそがその【油注がれた方】だと宣言しています。
ところで「イエス」は個人の名前ですが、「キリスト」は名前ではありません。
キリストとは、ギリシャ語で【油注がれた者】という意味なのです。ヘブル語では「メシヤ」と言います。
【油】とは、神のスピリットである【聖霊】を指します。聖書にはそのことについて以下のように書かれています。
神である主の霊が、わたしの上にある。
主はわたしに油をそそぎ、
貧しい者に良い知らせを伝え、
心の傷ついた者をいやすために、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年と、
われわれの神の復讐の日を告げ……。
イザヤ61:1-2
イエスは、故郷にある会堂に行ったとき、声を出してこの箇所を朗読しました。そして、次のように宣言されました。
きょう、聖書のこのみことばが、
あなたがたが聞いたとおり実現しました。
ルカ4:21
【油注がれた者】つまりキリストとは、以上のことを実現するために来ると預言されていた方です。イエスは、自分こそがキリストであると宣言されただけでなく、その後実際に、ここに書かれている言葉どおりのことを実行されました。
【神の大きな愛と赦し、イエス・キリスト】by ジーザス・コミュニティ牧仕:桜井 知主夫
イエス・キリストは、あなたと私をも癒し、解放し、釈放し、彼の恵みの年を告げ知らせてくださいます。もし、今日あなたが望むなら、今日からでもキリストの恵みの年は始まるのです。
キリストが行なった【癒し】、【解放】、【釈放】、【イエスの恵みの年を告げ知らせる】ことについて、弟子のひとりで元漁師のペテロという人は、次のように言いました。
神はこの方に聖霊と力を注がれました。
このイエスは、神がともにおられたので、
巡り歩いて良いわざをなし、
また悪魔に制せられている
すべての者をいやされました。
私たちは、イエスが
ユダヤ人の地とエルサレムとで行われた
すべてのことの証人です。
人々はこの方を木にかけて殺しました。
しかし、神はこのイエスを三日目に
よみがえらせ、現れさせてくださいました。
使徒10:38-40
イエスは愛に溢れる正しいことを行なったのに、その当時の宗教家たちや指導者たちは彼に嫉妬して彼を殺しました。しかし神の側には、人の思惑とはまったく違う計画がありました。
イエス・キリストが現われる以前は、人は罪を犯すと、身代わりの動物にその罪を着せて殺していました。そのような動物の犠牲は【なだめの供え物】と呼ばれていました。
聖書は、キリストが、十字架の上で、私とあなたのために苦しんで死んだのは、この【なだめの供え物】としての役割を果たすためだったのだと教えています。
例えば、あなたのことをとてもよく考えていてくれる人がいるとします。一方、あなたは不完全な存在で言動においてさまざまな失敗を
するために責められ、相手との関係が悪くなることもしばしば。しかし、あなたのことをよく思ってくれているその人が、あなたが怒らせた相手との間に健全な関係を取り戻すために、あなたが取るべき責任を代わりに取ってくれるとしたら、こんなにありがたい話はないでしょう。
それが、イエス・キリストのしてくださったことです。
あなたがもし、責任感の強い方なら、自分のしたことの責任くらい自分で取る、あるいは、そもそも相手を怒らせないようにしよう、と考えるかもしれません。しかし、「怒らせた相手」が神である場合、その代償は死です。そして、怒らせないようにする(罪を犯さないようにする)ということも実質上不可能です。なぜなら、神が罪と定める基準は非常に厳しいからです。
罪とは神が善とされたことから外れること(ギリシャ語では罪は「ハマルティア」と言って、「的外れ」という意味です)、また、神の基準に逆らうことです。例えば、キリストは次のように教えられました。「昔の人々は『殺してはならない』と言われました。しかし(それだけでなく)、腹を立てる者はさばかれます」。つまり、神は、外に現われる行為だけでなく、人の心の内側も見られるということです。神の善悪の基準がこれほど厳しければ、誰も基準を満たすことのできる人はいません。
その罪のために、神と私たちの関係は大きな断崖で隔てられています。けれども実は、この隔てを打ち砕くためにイエスを世に送られたのは、神ご自身なのです。神は正しい方なので、取るべき責任をうやむやにすることはできません。しかし人にはその責任を取ることができないので、代わりに十字架で【供え物】になるようにとご自分のひとり子イエス・キリストを与えてくださったのです。
このイエス・キリストを信じるなら、あなたの罪は赦され、あなたは神の愛する子どもとして受け入れられます。
さて、ここで、神の基準の具体例を紹介するために、旧約聖書に書いてある十戒(ルールの中でも代表的な十の戒め)の中から3つを挙げてみましょう。
1.あなたの父と母を敬え
2.偽証をして(嘘をついて)はならない
3.すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない
あなたには、父と母を敬わないときがなかったでしょうか?
あなたは、1度も嘘をついたことがないでしょうか?
あなたは、誰かの物を欲しがったことはないでしょうか?
この3つに関してだけ言っても、「ありません」と答えられる方はほとんどいないのではないでしょうか。しかも実は、数多くのルールの中で、一番大切なものは「神を全力で愛すること」で、二番目に大切なものは、「自分を愛するように、隣人を愛すること」なのです。
こうなると、ルールに逆らったことのない人は一人もいないということができます。事実、聖書は「義人はいない。ひとりもいない」と宣言しています。また、罪ある者は、神と関係を持つことができないし、神の御国(天国)を相続することができないとも、言っています。
しかし、先述したように、キリストがそのすべての人の一生分の罪を負って、十字架の上で苦しまれ、その罪を帳消しにしてくださったのです。それは、神が、このイエス・キリストを通して、あなたを大きな愛の関係に永遠に迎い入れるためだったのです。
いま、あなたが自分の罪を認めて、キリストがあなたの罪のために十字架にかかり、あなたに対する神の怒りをなだめてくださったことを信じるならば、神はあなたを赦し、あなたを愛する子どもとして受け入れてくださいます。
さらにキリストは、十字架の上で死んでくださっただけではなく、三日後によみがえってくださいました。もし、キリストがよみがえられなかったならば、私たちが死んだ後に、永遠のいのちが与えられるという約束も空しいものになってしまったことでしょう。しかし、聖書が述べている真実は、キリストを信じる者は罪が赦され、死からも救われ、永遠のいのちを持つということです。
神は、愛する関係の中に私たちを永遠に引き寄せたいのです。そのために、ひとり子イエス・キリストを、私たちの中に派遣されて、すべての人間の罪を十字架で負わせたのです。それは一にも二にも、神が私とあなたを大きな愛で愛しておられるからです。
しかし、私たちには自由意志があるので、神の願いに逆らうこともできれば、素直に受け入れることもできるのです。もちろん神は、ご自分の願いをあなたに素直に受け入れて欲しいと思っておられます。
神は、私たちが救われるために必要なことを、十字架と復活によって、すでに完成してくださいました。その大きな愛に応答して、私たちは悔い改める必要があります。悔い改めとは、自分が正しいと思っていた道よりも、神が用意してくださった道であるイエス・キリストを正しいと認め、キリストの道に立ち返り、その道によって神に向かって生きることを指します。
悔い改める者にはこの罪の赦しが与えられるという良い知らせ(福音)は、すべての国の人々に宣べ伝えられると、イエス・キリストは言われました。あらゆる人生を歩んできたあらゆる人に、神はこの良き知らせを届けたいのです。
だからこそ、今日、あなたは、このページにたどり着いたのだと、私は信じます。
たとえ、自分で自分を赦せない、愛せないと感じている人でも大丈夫。この方は恵みと、真実に溢れているからです。恵みとは、良いものを受けるのにふさわしくない者に対して良いものを施してくださる神の性質のことを言います。聖書の中に次のように書かれているとおりです。
神は、実に、そのひとり子を
お与えになったほどに、
世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16
ここまで読まれて、あなたは今、イエス・キリストについてどう思っておられるでしょうか。イエス・キリストは、あなたに何も強制はしません。けれども、あなたを助けて、あなたの心の中で生きたいと願い、あなたの心の扉をたたいておられます。
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて
戸をあけるなら、
わたしは、彼のところに入って、
彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする
黙示録3:20
あなたも、心の扉を開いてイエスを迎え入れませんか? もしあなたが、そのことに同意するなら、キリストとキリストの父なる神に向かって以下のように祈ってください。
「私は正しくありません。罪人です。あなたから怒られて責められて当然です。
しかし、その怒りをなだめるためにキリストが私の代わりに死んでくださったことを信じます。
あなたは実際に存在しておられ、キリストを信じる者を、
愛する子どもとして永遠に受け入れてくださることを信じます。
また、あなたがキリストを三日の後によみがえらされたことを信じます。
今日も、生きておられるイエス・キリスト!
どうぞ、私の心の中にお入りください。そして、あなたが私の心に行く道を教えてください。
あなたが私を大きな愛で愛してくださっていることを感謝します。
この祈りを、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」
もし、このように祈ったのであれば、あなたのお住まいの近所の教会をインターネットで調べて、行ってみてください。そこで、神のことばで養われ、神の愛を受けて生きる生活を始められることを、あなたのために祈っています。
*神の大きな愛である、イエス・キリストの福音を信じ、主として従うと決め、従うことでさえ助け続けてくださる方であることを受け入れるだけで救われるのです。それ以上を求める個人やグループが、「それだけでは不十分です」「うちのグループに入らなければ救われません」と言うのなら、その人たちは異端・カルトだと思って間違いありません。
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