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聞くだけでなく、実行する人に(7:1〜10)
これは神のおかげだ!(7:11〜28)
主イエスの御手があったから
人にではなく、神に頼る(8:1〜23)
東日本大震災のとき
無事到着、そして献げもの(8:24〜36)
最後に
2026/08/23 エズラ7-8章「悔いてへりくだると神は立ち上がるのを助けられる」
桜井知主夫
日曜礼拝
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エズラ記 7〜8章 「見えない御手を見る目」
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神殿再建から約60年。信仰の熱が冷めていたその時代に、神は一人の祭司・学者エズラを起こし、第二陣を率いてエルサレムへと上らせます。
この7〜8章には、一つの流れがあります。
① 信仰による決心(腹をくくる) ② 具体的な行動(計画と実行) ③ 神への全面的な依存(断食と祈り)
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エズラが心に定めていたのは3つ。
・主の律法を調べること ・それを実行すること ・それを教えること
聖書を多く知るほど、実行が追いつかない自分に気づかされます。ヤコブは「教師は人一倍厳しいさばきを受ける」と言いました(ヤコブ3:1)。でも、それが怖くて読むのをやめてしまったら本末転倒です。
私たちが聖書を読む動機はシンプルです。できない私の代わりに、キリストが十字架で罪となってくださった。その恩義に応えたくて、キリストをもっと知りたいから読むのです。
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アルタクセルクセス王はエズラに、帰還の許可、神殿のための莫大な金銀、税の免除、任命権まで与えました。その時エズラが真っ先に口にしたのは、「主はこのようなことを王の心に授けられた」(7:27)
エズラは、目に見える王の背後にある、目に見えない神の御手を見抜いていました。まさに箴言21:1の通りです。
「王の心は主の御手のうちにあり、水路のように、主が望まれるところに導かれる」
私たちは普段、見える恵みに反応するようにできています。上司に感謝する、友人をほめる。それ自体は悪くありません。でも問題は、そこで感謝が完結し、その人を動かした方にまで目が届かないことです。
今週、何か良いことがあったとき、あなたの最初の反応は何でしたか?
・給料が振り込まれた、褒められた → 真っ先に思ったのは「頑張った甲斐があった」でしたか、それとも神への感謝でしたか ・体調が良くなった、検査結果が良かった → 「良い病院・良い薬のおかげ」で終わっていませんか ・危うく事故を避けられた、渋滞に巻き込まれず間に合った、探し物が見つかった → 小さすぎて祈らなかったことほど、感謝も忘れがちではないでしょうか ・気まずい相手と和解できた、親切にしてもらった → その人を通して働かれた方に、思いが至ったでしょうか
すべての良い贈り物は上から来ます(ヤコブ1:17)。私たちの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか(Ⅰコリント4:7)。
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私自身の歩みを振り返っても、この「見えない御手」を思わずにはいられません。
・牧者として呼ばれるところへ導かれたこと ・ビザ発給が拒否されたことによって、日本の教会へ導かれたこと ・日本で牧者として立てられ、そして主任牧師の罪をきっかけに教会開拓へと導かれたこと ・チャック・スミスを通して、カルバリーチャペルへと導かれたこと
一つひとつは、その時々には理解できない出来事でした。しかし振り返れば、すべてに神の御手がありました。ヨセフが「神が私をここに遣わされた」と告白したように(創世記45章)、私たちの人生も、後になって初めて見える神の摂理に満ちています。
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出発前、レビ人がいないことが分かり、リーダーたちに捜索を命じると、神の恵みの御手によって見つけることができました(8:18)。
いよいよ出発。道中には敵がいます。しかしエズラは、王に護衛を頼みませんでした。頼めば王は喜んで叶えたでしょう。しかしエズラは既に王にこう証言していたのです。
「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上にある」(8:22)
ここで護衛を頼めば、この証言が嘘になってしまいます。だからこそエズラたちは断食をし、祈り願いました。自分の弱さと無力さを認め、神の前にへりくだったのです。すると、神はその願いを聞き入れてくださいました。
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あの時も、問われたのは同じことでした。神に頼るのか、それとも他者に頼るのか。
東松山の航空自衛隊基地には、アメリカ軍の小部隊もいました。人の力、組織の力に頼りたくなる場面は、私たちの日常にも必ずあります。しかしエズラが見せてくれたのは、人間の権力者ではなく、目に見えない神にこそ拠り頼む姿でした。
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断食は見栄ではなく、神への真剣さの表現です(マタイ6章)。重大な決断や危機には、断食が伴うことがあります(使徒13章、マタイ17章)。願うこと自体は神が望んでおられることですが(マタイ7章、ピリピ4章)、動機が問われます(ヤコブ4章)。
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神の御手があったので、道中、敵の手からも待ち伏せする者の手からも守られました(8:31)。バビロンを出発したときに持って出たものは、何一つ失われませんでした。
エルサレムに着いたエズラたちは、全焼のいけにえと罪のいけにえを献げました。根っこの罪と、各罪への対処です。王の命令書は太守や総督たちにも渡り、彼らはユダヤ人と神殿の働きを援助することになりました。
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「調べる・行う・教える」(7:10)は、義務としてではなく、主を愛しているから自然に生まれる応答です。聖霊による内側からの変化こそが大切であって、外側だけの頑張りではありません。
断食も、自分を追い込むテクニックでも、ただの儀式でもありません。自分の無力さを認めて、神に完全に寄りかかる姿勢そのものです。
今週振り返って、口から人への称賛しか出てこなかったという方。
今日この瞬間、心の中で構いません。
「主よ、それはあなたのおかげでした」
そう言い直してみませんか。
人にではなく、神に信頼を置く。その決心を、今日、あなたもしてみませんか。

