こんなキリスト教会です

ジーザス・コミュニティは、1999年に東京都国分寺市で始まったプロテスタントのキリスト教会です。

アメリカのカルバリー・チャペル(単立の群れ)のグループと提携しています。

牧者・スタッフ

 


牧者

牧者の桜井 知主夫です。

 

プロフィール

桜井知主夫(さくらい・ちずお)1958年東京都生まれ。人生で3回、小学校、大学、ミニストリーの訓練、計11年間をアメリカで過ごし、アメリカと日本を行ったり来たりする機会が与えられる。日本にて、フリーカメラマンとなり、一般企業でも計7年間働く。神の恵みによって20代後半から31歳で神に立ち返る。1993年から米・カリフォルニア州、1995年から東京都で、牧者として2つの教会に仕えさせていただく。1999年より東京都国分寺市にて、3つ目の教会、ジーザス・コミュニティ国分寺(Calvary Chapel Kokubunji)を開拓させていただき、現在に至る。

 

信仰の歩み 

神に拠りすがる

長年にわたり、実に愚かで罪深い生き方をしていたが、20代後半、人間関係が崩壊していく中で、ただただ神の恵みによって聖霊のバプテスマを受ける。その後、一か月間は喜びと平安に満ちた時を過ごすが、聖書に何が書いてあるかも知らない状態がつづく。そのようなときに罪を犯してしまい精神的にどん底に叩き込まれる。そのまま数年にわたり鬱になる。昼夜逆転、人が好きな私がだれにも会えなくなり、何トンもあるような「重り」が肩の上に乗っかり続けて、心も圧し潰されそうな感覚のまま、いたずらに時間が過ぎて行く

そんな鬱的状態が続き、判断力が衰えた末に東京湾に行く。夜中の3時頃、自殺寸前で神が「もう一度、神ご自身に頼るように」と、語りかけてくださる。以前、親身に相談に乗ってくれたクリスチャンのブラザーに電話をすると、「すぐに来るように」と、彼らに迎え入れてもらう。そのとき、テゼ共同体と呼ばれる修道会の創設者ブラザー・ロジェ本人が、大切なものを犠牲にしてまで、どこの馬の骨かもわからない私に手を差し伸べてくれる。そこで30日間朝から晩まで鼻を垂らし泣きながら祈り、神に助けを求めて拠りすがる。すると、肩と心に乗っていた「重り」によって押し潰されそうだった状態から一挙に解放され、心から聖霊による喜びが溢れ流れるようになる

 

3つの願い

その祈りの中で、神に3つのお願いをする。1)本物の教会を与えてください。2)本物の牧仕を与えてください。3)本物の兄弟姉妹を与えてください。いま現在、この3つの願いはすべて叶えられている。神は本当に誠実な方であることを、体験させていただいている。

 

キリストに出会う

31歳のとき、神のあわれみによって、聖霊により、心の目が開かれて、イエス・キリストに出会うことを許される。私の罪のためにイエス・キリストが十字架で死んでくださり、3日後によみがえられたことをわからせていただく。

キリストを信じたことによって、私のすべての罪が赦され、義(正しい)と認めてくださり、神を父とする親しい愛の関係が与えられる。この救いが与えられるのは、自分の努力や行ないによってではなく、ただただ神の恵みとキリストの贖い(十字架)によることを知り、心から感謝する。

「人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。」(ガラテヤ人への手紙 2:16)

その直後、キリストの恵みによって、牧仕・教仕になるように導かれる。3人の異なった人たちが、それぞれ違う時に違う場所で、私が将来牧仕になると預言する。31歳のとき、神の恵みによって、最愛の妻と結婚。翌年、愛娘の長女が生まれる。

 

牧仕・教者として整え始められる

32歳のとき、東京で、チャック・スミス牧者に出会う。一週間、この出会いのことを思うと、涙が溢れ流れて止まらない不思議な体験をする。翌年、家族で南カリフォルニアに移住、彼が牧会している教会に3年間集って奉仕をしながら学ぶ機会が与えられる。教会に通える距離のフラー神学校で学んでいたところ、カルバリー・チャペル・コスタメサ(チャック・スミス牧仕)のスクール・オブ・ミニストリーに導かれ転校する。以前に、テゼ共同体で祈った願い(本物の牧仕を与えてください)を、神が聞いてくださっていたのを知ることになる。

そこで、1)聖書には何が書いてあるのか。2)神がどれほど私たちを愛しておられ、あわれみ深く、恵み深いかを知る。3)その応答として主を愛し主に仕え、主の民を愛し仕えることを学ぶ。4)神に拠り頼むこととは何かを学ぶ。(詳しくは「カルバリー・チャペル」を参照)この頃、愛娘の次女が生まれる。
 

その後も、チャック牧者が個人的に、とても親切に愛してくれる。しかし、いつでもキリストご自身に目を向けることを励ましてくれる。

 

3つの教会に仕え、そこでも学び整えられ続ける

1993年から2年間、ニューポートメサ日本人教会にて牧会。1995年から4年間、東京の単立教会にて副牧者として働く機会が与えられる。1999年に東京都国分寺市にてキリスト教会ジーザス・コミュニティを開拓させていただき、現在に至る。

聖書の創世記から黙示録までを順次教え、現在第2ラウンド後半。1993年に牧会を始めてから、驚くことに、連続して週平均3回のペースで聖書を学び教える機会が与えられている。

自分自身のさらなる学びとしては、1999年にCalvary Chapelと提携して以来、毎年3回、アメリカや東南アジアでのCalvary Chapelカンファレンスに参加して牧者&教者として、さらに整えられる機会が与えられている。

すぐれて豊かな神の恵み(神のハート)に驚きつつ、日々、心から神に感謝している。

  

あなたへのメッセージ

神はこんな私でも受け入れて愛してくださった。だれでも神に近づく人に、神は近づいてくださる。

神は、こんなどうしようもない私をあわれんでくださり、イエス・キリストにあって、大きな愛で愛してくださいました。神のハートは、良いものを受けるのにふさわしくない者、似つかわしくない者、資格のない者であっても、良いものを施してくださるハートです。ですから、あなたが求めさえすれば、神は大きなハートであなたに良くしてくださいます。神は、あなたもそのことを知って体験することを望まれています。

ぜひ、神に「あなたがいるのであれば、私に分かるようにしてください!」と願ってみてください。「イエス・キリストを見れば神がわかるのですから、キリストに出会えるようしてください!」と願ってみてください。

 


牧者の妻

妻の桜井 真理です。

 

信仰の歩み

クリスチャンになるのに、全くふさわしくない者

 

崩壊していく自分と家族

私が19歳のとき、「父の急死、弟の不登校、私の摂食障害とアルコール依存、入院」と一挙に問題が起こりました。崩壊していく家庭の中で生きる意欲もなく、自暴自棄になって自殺を図りました。そのことを知った友人(入院時に知り合った)が、私のことを心配して教会に連れて行ってくれました。しかし、それ以降、教会へは行きませんでした。

 

教会に通い始める

6年後、荒れて引きこもる弟の問題によって、私と母が追い詰められる中、同じ問題を抱えるクリスチャンの女性に出会いました。その方の助けで、弟は静岡の宣教師の家庭に、半年間預かっていただくことになりました。挨拶を兼ねてその教会を訪ね礼拝に参加したとき、賛美歌を歌う中で自分の心の奥底から何かが湧き上がり、涙と共に溢れてきました。それから東京に戻り、紹介された教会に通い始めました。

 

キリストに出会う

聖書のことばを聞く中で、今まで「自分は不幸で、問題は弟にある」と思い続けていた私の中にこそ問題があることに気がつきました。神の善悪の基準と大きくはずれた自分の考えやルールにとらわれていた私。何ひとつ良いものを生み出さない私。自分の感情や考えを土台とした開き直りの生き方、それこそが罪だったと分かりました。

神のことばの真理を知らなければ、自分の暗闇や歪みにさえ気がつきませんでした。根っこに罪があるゆえに、悪に傾き正しく生きられない私の罪のために、キリストが十字架で身代わりになり死んでくださったことを知りました。そしてキリストはよみがえり、私が過去の自分に縛られることのないように、新しく生きるいのちを与えてくださったことを信じました。

 

壊れた者を完全に直してくださる神

今では、否定的な考えが襲ってくるときも、いつも私を愛してくださる神に助けを求め、神のことばで励ましを受けて前進していけるように変えられています。

1度は死んだ私の人生は、キリストを信じて神との関係が与えられたので希望があります。結婚して子どもが与えられました。このような人生は、過去の私にとっては奇跡です。汚れた者をきれいに洗い、壊れた者を完全に直してくださる、神はそのような愛と力を持っておられるお方です。さらに頼り求めて、これからも変えられていきたいです。

 


私たちが追求していること

 

1)神が、キリストによって、どれほど私たちを愛しておられるかを知り、その愛を体験する

2)神の愛に応答してキリストに従う

3)キリストの命令を守って、互いに愛し合う

4)そのすべてが、神の恵みとキリストによってのみ成立したことが明らかになり、父なる神に栄光が帰る

 

以上を追求しています。

 


私たちが願っていること

 

人が自他を受け入れる物差しは、能力、業績、容姿、性格、気質、胆力、腕力、相性、学歴、経歴、経済力、立場、国籍、人種、家柄等です。

 

しかし、神の物差しは違います。神は、良いものを受けるにふさわしくない者であっても受け入れて、惜しみなく良いものを与えてくださいます。それこそが【恵み】です。 神の恵みは、それを受けるのにまったく釣り合わない、この私やあなたにまで及びました。

 

キリストが私たちの罪を負い、身代わりとなられ神に見捨てられた、それだけが理由で、私たちは神に赦され、受け入れていただけるようになりました。それが贖いの【十字架】です。つまり、正しくない罪人のためにキリストが十字架でその罪を負ってくださったことを信じるなら、その信仰が正しいと認められるのです。

 

さらに、三日後にキリストは、死者の中からよみがえられました。それが【復活】です。この復活のゆえに、私たちは神から義と認められるようになったのです。つまり、三日後にキリストが復活させられたことにより、神との新しい関係が永久に与えられ、すべてが永遠に新しくなることを信じる者を、神は正しいと認めてくださるのです。

 

ご自分のひとり子を惜しみなく与えてくださるほど大きな愛で私たちを愛し、子どもとして受け入れてくださった神に、心から感謝しています!

 

ただ、神の恵みにより、

キリスト・イエスによる贖いのゆえに、

価なしに義と認められるのです。

ローマ3章24節 

 

私たちは、一人でも多くの方にその事実を知っていただきたいと願っています