こんな教会です

ジーザス・コミュニティは、1999年に東京都国分寺市で始まったプロテスタントのキリスト教会です。

アメリカのカルバリー・チャペル(単立の群れ)のグループと提携しています。

ビジョン3.キリストに応答して、互いに愛し合う

 

12弟子の一人であるヨハネは、次のように言いました。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(Ⅰヨハネ4:9-11)

 

これが何より大切な神の命令であることを、ヨハネは次のように簡潔にまとめています。「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです」(Ⅰヨハネ3:23)

 

私たちのビジョンは、キリストの愛のうちにあるこの神の命令を守ることです。キリストご自身も次のように言われました。「あなたがたに新しい戒め(命令)を与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:34-35)

 

聖書の中でよしとされていることをすべて実践できていても、そこに神の愛がなければ全く無意味だと聖書は言っています。

 

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛【アガペ】がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛【アガペ】がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛【アガペ】がなければ、何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13:1-3)

 

その命令は、重荷とはなりません


このように、聖書は繰り返し、互いに愛し合ことこそ神の命令であると述べています。しかし、この命令は、実は人間の力だけでは守ることはできないのです。たとえば、あなたの嫌いな誰かを思い浮かべてみてください。その人をも愛することを考えてみれば、その途端に、この命令は人間の力だけでは実効不可能であることを悟るでしょう。

 

キリストは次のように言われました。「わたしが愛したように、互いに愛し合いなさい。」この愛は、ギリシャ語で【アガペ】といって神の愛を指しています。人間の内側には、このアガペは存在しません。

 

ギリシャ語には【アガペ】の他にも「愛」を表す言葉が幾つかあって、例えば男女の愛のことは【エロス】と言います。また、親子の愛は【ストラゲオ】、友人間の愛を【フィレオ】と言います。

 

人間の中には、【エロス】も【ストラゲオ】も【フィレオ】もありますが、【アガペ】という神の愛だけは存在しません。この愛は、あなたに敵対する人にも良くするような愛です。嫌いな人にも良くするような愛です。この神の愛で互いに愛し合うのは人間には不可能なことなのです。もし、それができるなら、この世界には不和や憎悪、家庭崩壊や離婚、分裂や分派、紛争や戦争はないはずです。

 

しかし、神の愛に応答して、神の命令を守ろうとする人たちには朗報があります。神は、キリストの命令を守ろうとする者たちを必ず助けると約束しておられるのです。互いに愛し合うことを追求しようとする者に、神は必ずその力を与えてくださいます。

 


恵みを理解する者は、神に助けられる

「こんな私であっても、神は助けてくださる」ということに合点がいかなければ、求める心も弱くなります。神の恵みを理解できなければ、「キリストのすべての命令は難しすぎる」と感じて心も折れてしまいます。逆に、自分の力で神の命令を守ることができると過信する人は、神からの助けを受けることができません。

 

神は、良いものを受けるのにふさわしくない者に良いものを施してくださいます。それを「恵み」と言います。

 

恵みの出所は、神の性質です。その性質を完全に現わしたのが、神の御子であるイエス・キリストなのです。私たちはこの恵み深い方、神を愛して命令を守ろうとする者を助けると約束された方、イエス・キリストを信頼して、互いに愛し合うのです。キリストは以下のように言われました。

 

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5)

 

実を結ぶとは、神の愛で愛し合う関係が深まり広がることを指しています。それには、「わたしに留まり、神の助けを受け続ける必要がある」とキリストは言われました。キリストに留まるには、神の命令を守る必要があります。神の命令を守るために、神に助けを求める者であれば、神は誰でも助けを与えられるのです。その命令とは、キリストが愛されたように互いに愛し合うことです。

 

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。(ヨハネ15:16-17)