2018年10月7日

尊いことに使われる器

 

だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、

その人は尊いことに使われる器となります。

Ⅱテモテへの手紙、2章21節

 

あなたに、以下の二つの選択肢があったとします。①尊いことに使われる人になる、もしくは、②恥ずかしいことに使われる人になる。あなたはどちらの人になりたいでしょうか。

2017年10月8日

生ける水に渇く

                      

画像をクリックすると、生ける水(聖霊)についてのわかりやすいメッセージを聴くことができます。 

もしあなたが神の賜物を知り、

また、あなたに水を飲ませてくれと言う者が

誰であるかを知っていたなら、

あなたの方でその人に求めたことでしょう。

そしてその人はあなたに

生ける水を与えたことでしょう。

ヨハネによる福音書、4章10節

キリストは、「2つのことを理解したら、あなたの方で生ける水を求めたことでしょう」と言われました。つまり、その2つを理解したら、あなたに生ける水を求める欲求が芽生えると言われたのです。それでは、その2つとは何でしょうか?

2017年2月24日

全く新しい人生を与える方

 

 

さて、週の初めの朝早くに、

よみがえったイエスは、

まずマグダラのマリヤにご自身を現わされた

マルコ16章9節

  

復活されたイエスが、一番最初に現れたのは、12弟子ではなくマグダラのマリヤだった。以前、この女性は7つの悪霊に憑かれて苦しんでいたのだが、キリストが彼女のところに来られ、7つの悪霊を追い出し救ってくださったのだ。

2017年1月17日

心と思いが、神の平安で守られるために!

 

 

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈と願いによって、

あなたがたの願い事を神にしっていただきなさい。

そうすれば、人のすべてにまさる神の平安が、

あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ピリピ人への手紙 4章6~7節

  

人間は、みな思い煩います。ペテロは、自分が書いた手紙の中で「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」と勧めています。つまり、人はみな思い煩うことは当然であることを前提にして、以上のように命じているのです。ですから、あなたが思い煩ったからといって、人間としてノーマルであることは言うまでもありません。

2016年12月14日

復活の力を体験するために

 

私は、キリストとその復活の力を知り、

またキリストの苦しみにあずかることも知って...

ピリピ人への手紙、3章10節

 

もしあなたが、復活の力がどのようなものか知っていたのなら、あなたは、復活の力を体験したいと思うはずです。

2016年10月11日

心の空洞を埋めるもの

「イエス・キリストが、日本に住む人たちにどれだけ必要か!」それに、人々が気づくためには、どうしたらいいのだろう? それについて今に至るまで考えてきたことを分ち合わせてください。

 

「わたしを信じる者は、腹の底から生ける水があふれ流れ出る」と、キリスト本人が言われました。この生ける水とは、聖霊のことです。この聖霊だけが、あなたの魂に満足をもたらし、魂の空洞を埋めることができると、キリストは言われているのです。もしキリストを信じるなら、聖霊が与えられ、聖霊に満たされ、それだけではなく、聖霊が腹の底から溢れて流れ出るようになるというのが、神の約束なのです。

2016年9月20日

神は、あなたを忘れてはおられない

 

女が自分の乳飲み子を忘れようか。 
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
 たとい、女たちが忘れても、
このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。 
イザヤ49章15−16節 
 
神は、預言者イザヤを通して、以上のように宣言されました。たとえ、人間関係の中で、一番関係が濃い人が忘れたとしても、わたしはあなたのことを忘れはしないと、神は宣言されたのです。
 
しかし、あなたはこう反論するかもしれません。「見えない神が『私/俺のことを忘れない』というよりも、私/俺は見える誰かがそばにいてくれる方が良い!」

ゴスペル、良き知らせとは、イエス・キリストのこと。

神は、ひとり子、イエス・キリストを、あなたのために与えるほどに、あなたを愛しているのです。それは、あなたがキリストを信じて滅びることがなく、永遠のいのちを持つためです。

 

8月11日(木・山の日)

 2016年5月31日  

                       神が、人となる理由?       

 100%神 100%人

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

ヨハネによる福音書1章14節

 

ネットで、ある人が次のようなことを言っていました。「神がいるなら、なぜ神は人間が破壊的になるのを放って置くのだろうか?」「ぼくが神なら、そんな人間は全員滅ぼしてしまうのに!」「滅びていないところを見ると、神は存在しないんだ!」

 

新約聖書を書いた一人であるペテロさんは、次のように言っています。

       2016年4月18日         

神は、誰を救われるのだろう?

  

彼らは、神のことばに逆らい、

いと高き方のさとしを侮ったのである。

それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。

彼らはよろけたが、だれも助けなかった。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、

主は彼らを苦悩から救われた。

107篇11-13節

 

神は、いったい誰を救われるのだろうか? この詩篇の作者は、聖霊が教えた真実を次のように伝えています。「神は、神のことばに逆らっていた者、神のさとし(教え)を馬鹿にしていた者たちを救われた。」とあります。

 

しかし、神に逆らっていたままでは、神のもとに来ることはできません。たとえば、人間同士でも、反発し続けたままで助けを求めることはできません。反発を止めてUターンして、その相手に近づいて行く以外に、助けを求める道はないのです。

神の動機は100%愛!

                       

神は、みこころのままに、

私たちをイエス・キリストによって、

ご自分の子にしようと、

愛をもってあらかじめ定められたのです。

エペソ1章6節

  

だれでも一度は、祈ったことがあるのではないでしょうか。困ったときに、「だれか!助けて!」という思いを持ったことがあるはずです。その思いを、神に向ければ祈りになります。

 

しかし、信頼できない人に、頼みごとはしにくいものです。